プレスリリース

ギャルリーためなが《菅原健彦氏 逝去のお知らせ》

リリース発行企業:株式会社ギャルリーためなが

情報提供:


弊社契約作家である菅原健彦氏が、令和7年7月8日、62歳にて急逝いたしました。ここに生前のご厚情に深く感謝申し上げるとともに、謹んでご報告申し上げます。

尚、葬儀は7月13日に滋賀県大津市にて執り行われております。


菅原健彦 滋賀のアトリエにて

菅原は1962年東京に生まれ、多摩美術大学にて日本画を学びました。早くからその才能は高く評価され、美大卒業直後には上野の森美術館大賞展での入賞、1998年にはMOA岡田茂吉賞展絵画部門で優秀賞、2004年には東山魁夷記念日経日本画大賞展大賞など、名だたる賞を数多く受賞する栄誉にあずかりました。2012年に開催した弊社パリ店における初個展では、世界有数のコレクターであるロスチャイルド家が大作を購入するなど、海外のコレクターの中にもその作品の魅力は着実に浸透し広がっていきました。その後の国内外での活躍は目覚ましく、この秋には多くの人に待ち望まれたパリでの5回目の個展を開催する予定でございました。

横山操、アンゼルム・キーファーに心酔した初期、その影響下で描いた作品は主に都市風景でした。1996年居を山梨に移し、その地で樹齢千年を超える神代桜に出会ったことで、テーマは都市から大自然へと大転換を遂げていきます。以降、自然が織りなす超越的な姿かたちをモチーフに、圧倒的な表現力と造形力で無二の画風を築き上げていきました。

自然界に分け入り、地面に紙を置き、出会ったときの衝撃そのままを絵筆で画面に写し取っていく。それが菅原の一貫したスタイルでした。淡墨桜や滝桜、縄文杉、霧降の滝、臥龍の松、青池、そしてここ数年描きはじめた七尋杉や倒さ杉と、モチーフが移り変わっても、自然に向き合う姿勢だけは変わることはありませんでした。

菅原には「まさに天の仕業としか思えない邂逅」がたびたび起こったと言います。桜が咲く春ではなく、ひと気のない冬に岐阜の桜樹に出会ったことで「淡墨冬華」は生まれました。青森十二湖では、突然雹が降り、秋の紅葉が一瞬で冬景色となった様を目にすることで、紺雁皮紙を用いて「青池」を表現する着想を得ました。自然界に憧れと敬意を抱き、交感することを重んじたからこそ、自然が菅原に稀有な邂逅を授けたのでしょう。菅原はその感動を絵筆に託し、自然界の美しさと迫力そのままを画面に再現し、生命力みなぎる独自の作品へと昇華させていきました。

海外での公式デビューは私共が毎年参加している2011年のアート・パリでした。水墨主体のモノクロームの作品は好評価を得ましたが、欧米の画家たちと競うには新たな表現が必要だと感じ、金箔に松煙墨を使う新たな境地へと踏み出していきました。長谷川等伯や狩野永徳など日本美術の先達に倣いながら、独自の様式の確立へと挑んでいったのです。

自然と交感し、互いに深く響き合うことを信条とした菅原は、その姿勢を最後まで貫き通し旅立ちました。「絵を描くということは『快楽』以外の何ものでもないという風情がわれわれの眼を圧倒し、徹底的に楽しませる」と野地耕一郎氏が評する作品を残し逝ってしまいました。皆さまにおかれましては菅原作品をこれからもご堪能、ご評価いただければ幸いに存じます。

菅原作品は多くのコレクターの方々にお納めさせていただいておりますが、美術館では上野の森美術館、MOA美術館、ホテルではアマン東京、セントレジスホテル大阪、また大阪のザ・シンフォニーホールなどでもご覧いただけます。

私共ギャルリーためながでは、今秋に予定しておりましたパリでの個展を追悼回顧展として、10月9日より開催致します。菅原は今回のパリでの発表に焦点を合わせ、新たなモチーフ、新たな技法に鋭意取り組み続けておりました。展覧会ではそれら新境地の作品も合わせ展示させていただきます。おひとりでも多くの方々にご鑑賞いただきたく、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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