「五輪の名付け親~川本信正~」が7月16日、杉並区役所1階ロビー(杉並区阿佐谷南1)で始まった。
1936(昭和11)年7月25日の読売新聞夕刊で、1940(昭和15)年に東京でのオリンピック開催が決定する直前に、当時、読売新聞の運動部記者だった川本信正さん(故人)が初めて「五輪」という言葉を用いて報じたという。
川本さんは、1932(昭和7)年のロス五輪に出場した短距離ランナーの吉岡隆徳選手を「暁の超特急」と名付けたことでも知られる。
近代オリンピックは、1896年にギリシャ・アテネで第1回大会が開催され、この時から世界五大陸の団結を表す5色のオリンピックシンボルが使われてきた。「五輪」という言葉には、「5つの大陸」ということだけではなく、宮本武蔵の五輪書で示されている「仏教の万物を構成する「地・水・火・風・空」がそろう世界の最高の舞台」との意が込められている。1940年の東京五輪は、支那事変の影響などから政府が開催を返上することになったが、「五輪」という言葉はその後、日本に定着した。
開催のきっかけは、今年4月に行った東京高円寺阿波おどりの台湾公演の代表団に川本信正さんのおいにあたる笠井清司さんがおり、「東京新のんき連」の連長を務める中で杉並区の担当者との連絡役をしていたこと。笠井さんと杉並区の出会いから、川本信正さんを紹介する企画展を実施することになったという。
笠井さんからは笠井さんの父親が観戦した陸上競技のチケットや当時の記念切手、笠井さんのいとこで川本さんの長男・峰男さんからは父親から受け継いだ「1964年東京五輪の公式報告書」が提供され、展示されている。
初日には笠井さんと峰男さんが会場を訪れ、資料を見ながら当時を振り返った。
峰男さんは「父の存在を知ってもらうことで、1年後に迫った東京五輪への機運が盛り上がることにつながれば」と話す。
会場には東京2020大会に向けた1年前イベントとして、バレーの撮影スポットも設置されている。
開催時間は9時~17時。入場無料。今月26日まで。